先日9月13日(水)に千駄ヶ谷の国立能楽堂で初めて能楽を鑑賞しました。
予備知識ゼロは無謀だと思い、今回はワタリウム美術館のイベント「能楽の魅力を知る」を通してチケットを購入し、大倉流小鼓方十六世家元で人間国宝でもある大倉源次郎氏の解説付きで臨みました。
当日、開演1時間前に国立能楽堂事務所で30分ほど大倉氏の解説を聞きました。演目の内容が書かれたプリントをいただき、18時から鑑賞へ。
今回の演目は
- 舞囃子「賀茂」
- 舞囃子「須磨源氏」
- 狂言「福部の神」
- 一調「松虫」
- 袴能「天鼓」
能楽は1回の上演で何曲か続けて鑑賞するものらしく、今回は全部で5曲。最初の4曲は1曲10分くらいと短めでテンポよく進み、最後の曲「天鼓」は80分と長め。3番目の「福部の神」の後に15分休憩が入り、上演時間は合計で2時間50分。
能と狂言の違い
演目3曲目に狂言とあるが、元々同じ1つの芸能(猿楽)であったものが、能と狂言の2つに分かれ、今はそれら2つを合わせて「能楽」と呼ぶらしい。特徴として「能」の主人公が主に死んだ人であるのに対し「狂言」は生きている人が多いと対照的。まさに陰陽相成す。*1
|
陰陽 |
主人公 |
特徴 |
能 |
陰 |
死んだ人 |
人間の内面に深く切り込み苦しみや悲しみにフォーカス |
狂言 |
陽 |
生きている人 |
笑いや風刺を中心とした開放的な庶民劇 |
袴能とは
5曲目にある袴能とは、通常、登場人物は衣装として能面や能装束などを着て舞台に立つが、それら無しで紋服に袴のままで演じる能のこと。夏の暑さを凌ぐために対応したクールビズ的な発想らしい。個人的には、見た目の派手さも楽しみたいと思っていたので、少し残念でした。
初めての能楽鑑賞で
席は舞台正面席の前から3列目のA席(7,000円)。会場のライトは明るいまま、しれっと演目が始まる。
プリントを読みつつ鑑賞していたが
「何だか地味だな・・・」
全てがのんびり展開している。動きも小さいし、セリフやナレーションに当たる謡も伸びやかでゆっくり。動画を1.25倍速以上で見ている現代人しては、倍速で飛ばしたい気持ちに襲われてくる。
休憩時間までの前半は、各演目が10分くらいで変わるのでなんとか我慢できていたが、一番最後の演目は80分。しかも今回は袴能なのでみなさん見た目も地味。
「自分には能はまだ早かったのかもしれない・・」
ちょっと大人ぶってしまった過去の自分に後悔すら生まれてくる。退屈さがあるレベルに達したのか、いつの間にか寝落ちしていた。
これを瞑想状態と呼ぶのだろうが、寝ていても頭の中で思考できている。
「待てよ。袴能が存在するということは、能装束などの見た目の派手さは、能の本質ではないか?もしそうならば、鑑賞者側の見方が普通と違うのかもしれない・・」
などと思っている自分がいた。そこで試しに視点をちょっとズラしてみた。演者に注目するのではなく、その周辺というかシルエットというか、演者と演者の間というか、舞台上の空間を意識して見てみた。すると・・
「あれ、なんか演者のシルエットが美しい・・」
地味だった反復運動が、少しずつクセになってくる。さらに囃子や地謡の方々が奏でる音が動きと同調してきて、
「うわー気持ちよー・・・・」
気づいたら80分の演目が終わっていた。
「何これ・・・時間忘れてた。」
完全にトリップしていました。従来のエンタメとは何か違う能に、ムクムクと興味が湧いてきたのです。