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鑑賞回数や知識が増え、以前よりかは能が分かってきたと思います。
能楽には日本文化の歴史が詰まっていて、他の芸術との関連が見えたり、掘っても掘っても世界が広がり続ける面白さがあります。
では、能楽鑑賞を楽しんでいるかと言われると、分からないこともまだ多く、事前に詞章や解説があった方が助かります。シンプルに「あー楽しかった」と心から言えないことも多く、毎回勉強している感覚に近いです。
それは修行が足りない自分のせいだと思っていました。でも、能にはそもそも初心者には分かりにくい理由がちゃんとあったようです。
なぜ能は分かりにくいのか
先日、鎌倉能楽堂での中森貫太さん(観世流能楽師シテ方)による解説で、その理由が分かりました。
それは、能が
江戸時代に武士の「式楽(しきがく)」になったことで「観る」演劇から「演る」演劇へと変化しました。
つまり、観客=役者の図式が出来上がり、動きや台詞を知っていれば大変シンプルで面白く楽しめますが、知らない人には極めて不親切で難解な演劇となってしまいました。
つまり、能が「式楽」になったことで、それまでプロの能役者に演じられてきた能が、武将などのド素人が演じるようになりました。その流れの中で武将などが演じやすいように、演じていて楽しいように、プロの技が必要な(物語をわかりやすく伝えていた)箇所や演出などは端折られ、演目が必要最低限の骨組み程度に簡素化されてしまったようです。
演じる武将への配慮(忖度)が、能を観るだけは分かりにくいものに変えてしまったと言えます。時代の要請に応えた結果なので仕方ないのですが、そうならなかった世界線の能を観てみたいとも思いました。
式楽となった能の光と影
そもそも「式楽」とは、公的な儀式で演じられる芸能のことです。
能が江戸城での様々な年中行事にて催されるようになり、式楽として定着したのは三代将軍・家光、四代将軍・家綱の時代でした。
能は官僚(老中や若年寄など)の統制下に置かれ、能役者は幕府から俸禄(ほうろく=給与)を与えられ、武士と同等の身分を得ました。
また地方の諸大名も幕府に倣って、能役者を召し抱えるようになり、能楽の保護に当たり、全国的に式楽として定着していきました。
こうして能役者の地位と生活基盤が整えられ、安定した反面、興行や上演演目の管理や、技芸を磨くことの要求など、幕府からコントロールされるようにもなり、芸術の自由さが失われました。
式楽となったことで、能は保護され隆盛期を迎えた光の裏に
- 武将らが演じやすいように演目が簡素化した
- 芸術としての自由さが失われ、発展がストップした
という影の側面は見逃せません。
芸術に大きな組織が絡むと、安定と引き換えに芸術性が犠牲になってしまうという、あるあるの悲しい展開です。
能の分かりにくさの背景には「式楽」があったんですね。
鎌倉能楽堂で鑑賞
中森貫太さんのお話を伺ったのは、鎌倉能楽堂で開催された「能を知る会®」です。

4月29日(火祝)午後の部の「熊野」を私は鑑賞しました。
舞台周辺にモニターが設置され、演目中に字幕解説が表示されるので内容が分かりやすかったです。

まさに、分かりにくい能を分かりやすく紹介するために尽力されているようでした。

また、鎌倉能楽堂は長谷の大仏から近いのですが、観光地の喧騒から離れた、緑に囲まれた個人宅のような素敵なところで、小さめの舞台で距離が近く、迫力のある能を楽しめました。












































