能ガキブログ

能楽初心者が未知の楽しみを追求するブログ

【島根】佐太神社で佐陀神能を拝観

松江市にある佐太(さだ)神社で、毎年9月に開催される佐陀神能(さだしんのう)を観に行ってきました。

佐太神社とは

出雲国二ノ宮で、古くは出雲国三大社の内の一つとして、出雲大社熊野大社と共に佐陀大社と讃えられた由緒ある古社です。

ご本殿が、大社造りの社殿が3つ並ぶ全国的にも珍しい三殿並立という形態で、国の重要文化財に指定されています。

向かって右から北殿正中殿南殿と呼ばれ、正中殿には主祭神佐太大神(別名猿田彦大神)や伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)など5柱が祀られています。北殿には天照大神(あまてらすおおかみ)他1柱、南殿には素戔嗚尊(すさのおのみこと)他1柱、合計で9柱の神々が祀られたアベンジャーズのような豪華さです。

またご神紋が各本殿で違い、とても格好良いです。

北殿は輪違い

正中殿は地紙

南殿は二重亀甲紋

佐陀神能とは

佐太神社で最も重要な祭として御座替祭(ござがえさい)があります。

毎年9月24日にすべでの社殿の御神座の茣蓙(ござ)を取り替える祭で、古来より「佐陀の秘儀、重儀」と呼ばれています。

24日当日、茣蓙を清めた社殿に神々をお招きするために、舞殿で七座神事(しちさしんじ)という7つの捕物舞(とりものまい)が、手に剣などの捕物(とりもの)を持って舞われます。

ちなみに茣蓙に使われる出雲筵(いづもむしろ)は枕草子にも出てくるブランド品だそうです。

翌25日には、神々に奉納するご法楽として式三番(しきさんばん)と神能(しんのう)が、同じ舞殿で執り行われます。

式三番は、現在「(おきな)」と呼ばれる能演目の古い呼び名です。

神能(しんのう)は佐太神社オリジナルのものです。江戸時代初頭に佐太神社の神官が京より能楽を習い覚えて帰り、従来の神楽に能を取り入れ格調高いものにパワーアップさせました。神話や神々の功績などを題材にした「能方式を取り入れた神楽」として、出雲や周辺諸国里神楽に影響を与え、現在まで当時の遺風を守りながら400年以上継承されています。

七座神事(しちさしんじ)」「式三番(しきさんばん)」「神能(しんのう)」の3部構成を佐陀神能と呼びます。昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成23年にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。

佐陀神能に参戦

今回私は、2日目の25日に観に行きました。松江駅からバスで30分位で佐太神社に到着です。

19時に始まりました。最初に子ども佐陀神能教室の生徒である中学生による演目が披露され、それから佐陀神能保存会の方々による「式三番」「神能」と続きました。

観客はあまり多くなく20人くらい。私のように県外から来られた方もいたようですが、佐陀神能を保存し後世に残そうとする地元の方がほとんどのようでした。

入場無料で、観客席はなく本殿の前の石段に思い思いに腰を下ろすリラックスしたムードでした。舞殿の側に10脚くらい椅子があったのですが、寄付を収めた方用の拝観席でした。

神能の演目は全部で12番あるようですが、今年は以下の3番が披露されました。

  • 佐太神社の縁起を語る「大社(おおやしろ)」
  • 日本神話の国譲りに取材した「武甕槌(たけみかづち)」
  • 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇退治を題材とした「八重垣(やえがき)」

終演したのは23時だったようです。と言うのも、防寒対策が手薄だったため私は早めに帰りました。少人数で4つの演目を演じるため、直前の準備時間もかかりゆったりしたペースで進みます。防寒対策は忘れずに。

バスが終わっていたので帰りはタクシーです。事前に松江一畑交通を予約しました。

運転手の方が仰っていたのですが、佐太神社はかつて出雲大社につぐ社領があり、松江と日本海を繋ぐ人工の佐陀川を渡って多くの参拝客が訪れたようです。豪華な祭神やユネスコなど地域の神社には収まらない素晴らしいポテンシャルがあったことにも納得でした。

ぜんざい発祥の佐太神社

余談ですが、佐太神社にはもう一つ重要な祭があります。神在祭(じんざいさい)といい、11月20日から25日まで開催されます。

神在とは、一般的に旧暦10月八百万の神々が出払うため神無月(かんなづき)と呼ばれますが、出雲国では逆に神々が集うため神在月(かみありづき)と呼ばれるところから来ています。

佐太神社の境内奥には、伊弉冉尊(いざなみのみこと)のお墓と言われる磐境「母儀人基社(はぎのひとともしゃ)」があり、神在祭には八百万の神々が母神を偲んで参集されると言われています。

神在祭の最終日25日の夜には、参集した神々を見送る神等去出神事(からさでしんじ)が開催され、小豆雑煮(無糖)をお供えする風習があるようです。その小豆雑煮(無糖)を神在餅じんざいもち)と呼びます。

昔、京の人が「じんざい餅」を「ぜんざい餅」と聞き間違え、当時貴重品であった砂糖が時代と共に取り入れられるようになり、今の「ぜんざい」になったとされています。

敷地内にある神社カフェ佐陀乃だんだん家で昔ながらの神在餅が食べられるというので、早速注文してみました。(お供え神在餅 550円)

従来の砂糖ありのぜんざいよりもしつこくなく体に良さげで美味しかったです。小豆は腸内環境の改善やデトックス効果、美肌効果が期待できる健康食材だそうです。最近はハマって自宅で作ってよく食べています。

【佐渡②】民衆能が広まった佐渡の能舞台巡り

佐渡には現存する能舞台35あります。

能楽が暮らしの中に溶け込んでいる全国でも珍しい土地。当時は武士だけでなく庶民にも広く能が広まり、市井の人々が舞い謡い観る民衆能であることが特徴です。祝言の席や新築祝いなどで決まって謡が聞こえたといいます。

鶯(うぐいす)や十戸の村の能舞台

明治大正時代に活躍した歌人大町桂月(おおまちけいげつ)が佐渡民衆能の特徴を詠んだもので、わずか十戸ばかりしかない農村集落にも能舞台がある様子を表現しています。

佐渡に民衆能が広まった理由

佐渡は能の大成者・世阿弥の配流先として知られていますが、実際に普及したのは江戸時代初期からのようです。

佐渡金銀山の発見により幕府の天領(直轄地)となった佐渡に、1604年(慶長9年)初代佐渡奉行として大久保長安(ながやす・ちょうあん)が派遣されました。能楽師の家に生まれ、武士となった経歴をもつ長安は、能楽師太夫(つねだゆう)と太夫(もくだゆう)ほか、囃子方狂言方一行を同行させた事が大きく影響したと考えられています。

初めは役人たちの教養として取り入られた能楽が、次第に神社に奉納する神事能として、金銀山のある相川エリアから島内各地へと広がりました。そのため能舞台の多くが神社の境内に建てられています。


今回、私は4ヶ所巡りました。

 

大膳神社能舞台(国中エリア)

大膳神社能楽堂は1846(弘化3年)年に再建された佐渡最も古い能楽堂です。

向かう途中に田園地帯が広がります。

大膳(だいぜん)神社の表参道から鳥居と社殿が見えます。

社殿の隣に芝生広場を挟んで能楽堂が見えます。

茅葺き屋根がカッコ良いです。雨風を避けるための戸が建てられていないので、舞台に上がったり鏡板を見ることができました。

鏡板には松の他に日輪が描かれています。大変珍しいです。

橋掛りが複式になっていて舞台裏にある楽屋に続きます。

国中エリアで由緒を誇る4社の能舞台を「国仲四ヶ所の御能場」と呼び、大膳神社はそのひとつになっています。

国仲四ヶ所の御能場は大膳神社牛尾神社加茂神社若一王子神社の4社

また大膳神社は能「檀風(だんぷう)」ゆかりの神社としても知られています。

毎年4月18日には奉納能が、6月上旬には薪能が披かれます。薪能では佐渡に伝わる希少な鷺流狂言も上演されます。

牛尾神社能舞台(国中エリア)

牛尾神社は新潟県一大きい湖である加茂湖の南岸にある、杉木立の丘陵地に建つ格式高い古社です。「潟上の天王さん」の名前で親しまれています。

二の鳥居は両部鳥居で存在感があります。

奥に進むと拝殿が見えます。

鯉の泳ぐ姿や順徳上皇の物語絵などが施された精緻な彫刻群が見事です。

拝殿の横に芝生広場と能楽堂があります。

こちらも戸がないので、鏡板が観られます。

牛尾神社も「国仲四ヶ所の御能場」の一つに数えられます。

国仲四ヶ所の御能場は大膳神社牛尾神社加茂神社若一王子神社の4社

こちらは佐渡での最大規模の能舞台で、毎年6月12日には天王祭があり薪能が奉納されます。その時期には近くの川にホタルが飛び交うそうです。

地元の方のオススメで、牛尾神社から自転車で15分弱のところにある佐渡の素材にこだわったジェラートさんに寄りました。

バニラと季節の味のダブルを注文しました。

 

本間家能舞台(両津エリア)

牛尾神社から自転車で8分のところにあります。

江戸初期より指導的役割を担ってきた本間家が所有する能舞台で、佐渡能楽の中心的存在である佐渡宝生流の本拠地になります。

真ん中にあるのが能舞台です。戸が閉まっていたため、鏡板は観られませんでした。

瓦葺き寄棟造りの能舞台は1885年に再建されました。床下に音響効果としてふたつの甕が向かい合って斜めに埋設された本格的な造りになります。

鏡板には老松の背景に、海上から見える佐渡の山々が描かれているようです。生で観てみたかったですね・・・

毎年7月最終日曜日には本間家定例能が開催されます。

椎崎諏訪神社能楽堂(両津エリア)

椎崎諏訪神社両津港から自転車で15分の高台にあり、1902年(明治35年)に建てられました。

奥に進むと社殿があります。

社殿右をさらに進むと展望台からの加茂湖の眺めが素晴らしいです。

瓦葺き切妻造りの能舞台は社殿を背に左側に建っています。残念ながら戸が閉まっていました。

見所スペースの芝生広場が広く、キレイに整備されています。

佐渡島内で演能回数が一番多い能舞台で、5月から10月上旬の土曜日(8月除く)に幻想的な薪能天領佐渡両津薪能」が毎年5回開催されます。

 

今回能楽堂を4カ所巡ったのですが、個人的に大膳神社が一番好きでした。狭い参道を抜けると隠されていた芝生広場が開け、社殿と能楽堂が厳かに鎮座してる。神域感が半端なく印象的でした。

また、牛尾神社→本間家能舞台→椎崎諏訪神社のコースは加茂湖沿いの道を南から北へと、田んぼや湖を両サイドに眺めながら自転車で巡ることができ、サイクリングコースとしてもオススメです。

【佐渡①】正法寺ろうそく能を鑑賞

正法寺ろうそく能を観に6月に佐渡に行ってきました。

正法寺ろうそく能とは

世阿弥は1434年(永享6年)、72歳の時に佐渡配流となりました。世阿弥が逗留した正法寺の本堂で、毎年6月に幻想的なろうそくの明かりの中で世阿弥を偲ぶ奉納能が行われます。今年は6月28日(金)に開催されました。

こちらの本で正法寺ろうそく能の存在を知りました。

 

ろうそく能のチケットはこちらで事前購入しました。

チケットは13,900円で、新潟ー佐渡両津港)のカーフェリー・ジェットフォイル往復乗船代を含みます。

ジェットフォイルの一般旅客運賃(往復)が13,490円ですので、残りの410円が奉納金+手数料になる計算になります。佐渡に1泊以上宿泊することが購入条件になっているのでご注意を。

新潟側の佐渡汽船乗り場からジェットフォイルに搭乗です。

乗船前ににぎり米コシヒカリの握りたておむすびをテイクアウトしました。本場の味は美味しかったです。

佐渡汽船乗り場のコンビニに佐渡海洋深層水のベットボトルがあったので買いました。

佐渡に到着し、両津港からバスに乗って国中エリアに向かいます。佐渡島を40分くらい横断します。

国中エリアに宿を取りました。宿で自転車をレンタルできました。

腹ごしらえのため、地元の人にも人気の回転寿司屋すしやまるいし本店に行きました。地物の魚佐渡コシヒカリを使っています。すでに佐渡満喫した気分でした。

自転車で10分くらいで正法寺に到着です。

舞台見所(客席)はこんな感じです。

スペースにゆとりがなく、かなり混み合っています。チケット購入時に500円プラスするとSS席にアップグレードできたので私は1列目の席でした。

席に付いて初めて分かったのですが、1列目には座布団が、2列目以降は低めの座椅子が付いていました。腰に問題のある方は2列目以降がいいかもしれません。

1列目から舞台はこのように見えました。舞台周りに点在する白い紙がくるっと巻かれたものが燭台です。

ろうそく能のプログラムは

  1. 浄道場
  2. 講演
  3. 能演「半蔀(はじとみ)」

浄道場では、僧侶や信者の方々が仏様に祈りを捧げ、場を清めます。

講演は古典芸能解説者の葛西聖司さんが半蔀(はじとみ)の解説をされました。まさに最初に紹介した本の著者です。毎年ろうそく能で解説をされているご縁で、自著に紹介されたのかもしれませんね。

講演の後、僧侶の方が蝋燭を灯し能演が始まりました。蝋燭の光だけでは光量が足りないのか天井の電灯も付けたままでの能演でした。

「半蔀(はじとみ)」では、源氏物語でお馴染みの夕顔が霊として光源氏との恋を語り舞います。半蔀とは、蔀戸(しとみど)という上半分の戸を外側上部に吊り上げるようにして開く戸がついたのことで、白い夕顔の花が絡まった蔀戸から夕顔の霊が登場します。

私の席の真正面に設置された半蔀作り物(小道具)から夕顔が登場するシーンは、夕顔の面に蝋燭の光があたりとても幻想的で美しかったです。能面の下にはおじさんの顔があることをすっかり忘れるくらいドキッと心奪われました。光源氏も蔀戸から見え隠れする夕顔の姿に興味をそそられたのでしょう。とても印象的でした。

公演後に、世阿弥持参と伝えられる寺宝「神事面べしみ(通称:雨乞いの面)」が公開されました。鎌倉後期作とされ、世阿弥が雨乞いの舞に使ったと伝わっています。

こちらで紹介した小説世阿弥最後の花」の中でも、持参した面で世阿弥が雨乞能を舞います。

雨を誘うためにこんな厳つい面をつけるんですね。ちなみに小説内ではその面は観阿弥の遺品という設定でしたが、それは創作のようです。

終わったのは21時過ぎでした。バスなどの交通機関は機能していない時間帯ですので、私は自転車で宿まで帰りました。

念願の正法寺ろうそく能、手作り感溢れるイベントで、地元の方々の暖かい世阿弥愛・能楽愛を感じました。観客は本島の都心部からの方が半数以上で、中には著名な作家の方もいらっしゃったようです。きっと私と同じように都心部のストレスから逃げるように、自然に囲まれてのんびり能を鑑賞できる環境を求めている方が多いのかもしれません。

藤沢周の小説「世阿弥最後の花」を読んで

佐渡に行くので、こちらを手にしました。

72歳の時に島流しとなった世阿弥の、配流先である佐渡での晩年を描いた小説です。

藤沢周とは

著者である藤沢周さんは、1998年『ブエノスアイレス午前零時』で第119回芥川賞を受賞され、2004年から母校である法政大学の教授に就任しました(2023年時点で退職)。2022年に『世阿弥最後の花』で加賀乙彦推奨特別文学賞を受賞しています。

本書を書くにあたって能を自らの身体に通したいと、観世梅若流の謡と仕舞を稽古されています。

 

オードリーの若林さんがインスタ上で本書をオススメされていました。

こんなことがあるんだなと驚きました。
しくじり先生」で膝の授業をやらせていただいた時に、「風姿花伝」を再読しました。
その本の巻末に、世阿弥佐渡に流謫され81歳でこの世を去った。と書き記してありました。
あの世阿弥をもってしても、幸せといえる晩年ではなかったと言われている。
いろんな本を調べるとそのようなことがよく書かれていました。
晩年の辺りは資料もそんなに残っていないと。
それに俺はなんとなく納得できず、ずっとモヤモヤしていました。
すると藤沢周先生から新著をいただきました。
封筒から出して俺はタイトルに目を見張りました。
世阿弥最後の花」
まさに佐渡に流謫されてからの世阿弥についての物語でした。
人にも言えることだけど、出会いの縁とタイミングというものは本にもある。
今この本を読み終わりまして俺の心のもやは晴れ渡りました。
俺はどの資料より藤沢周(呼び捨てですみません)が切り取った佐渡世阿弥を信じたいです。

私もこんな老後を過ごしたいと思えるような素敵な内容でした。オススメの読みどころは3点です。

世阿弥の「ガラスの仮面

本書では配流先の佐渡で、3つの能を演じます。過酷な条件下で能演をやり切ったり、能演をきっかけに流人から慕われる立場になり島民に受け入れられたり、島民を稽古し共に舞台に立ったり、演劇というものを通して環境が変わったり個人の成長に繋がる様は、何か「ガラスの仮面」を思わせます。

元雅による夢幻能

本書は、章によって一人称が変わります。その中でも、配流直前に他界した世阿弥の息子、元雅が幽霊として語り部になる章は、世阿弥が確立した夢幻能のようでとても美しく幻想的です。元雅を普通の子供のように伸びやかに育てられなかったと後悔する世阿弥の姿を見つめる元雅の視線が暖かく、読んでいて涙しました。

老後を豊かにするヒント

高齢な流人である世阿弥が、自身の道である能を通して島民に慕われ共に舞台を作り上げます。また内面的にも、佐渡雄大な自然を味わう感性や、和歌を通して過去の偉人たちと交流する知性を通して、世阿弥が見る世界はとにかく美しく豊かです。人生の中で積み上げてきた経験を通して他人とつながったり、また感性知性といったものが自身の内面を豊かにする助けになるのではないかと本書を読んで思いました。

世阿弥直筆の書簡を求めて寳山寺へ

世阿弥直筆の書簡や能本、伝書があるということで、奈良の生駒山(いこまさん)にある寳山寺(ほうざんじ)に行って来ました。

生駒山寳山寺とは

江戸時代(1678年)に湛海律師(たんかいりっし)が開山したお寺で、奈良にあるお寺の中ではそこまで古くはないのですが、修行の場としての歴史は長く、寺の背後にそそり立つ巨岩「般若窟」では、修験道を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)や弘法大師も修行をしたといわれ、古くから霊験あらたかな場所です。近代以降、大阪商人等の信仰を集め「生駒の聖天さん」として親しまれています。

近鉄奈良線生駒駅まで行き、近鉄生駒ケーブルに乗り換えて、鳥居前駅から宝山寺駅まで上がります。

こんなかわいいケーブルカーに乗ります。

宝山寺駅からは、左右に灯籠の並ぶ石畳の表参道を上ります。

宝山寺の入り口まで来ました。

右に本堂、左に聖天堂があります。背後に崖が見えます。この崖の聖天堂後方に「般若窟」があります。

聖天堂の横からさらに上に登れます。「般若窟」が少し見えます。

雰囲気の良い参道が続きます。麓から奥の院まで階段は1,000段余りあるそうです。

頂上の奥の院に到着しました。

奥の院の近くには神社もあります。神仏習合ですね。

立体的でとても格好良く、参拝するところも多くあり色々と楽しめるお寺でしたが、目的である世阿弥直筆の書簡はどこにも見当たりませんでした。

寺務所の方に確認したところ・・

常設展示はしていないようです(涙)ただ、年一回、虫干しを兼ねて8月にこちらの和光殿でしれっと展示されるようです。

寳山寺には、足利義教により配流された佐渡から世阿弥が娘婿の金春禅竹に宛てた直筆の書簡や能本(能の演出注記入り台本)など貴重な文化財があり、デジタル化したものがこちらから確認できます。

実物を直接ご覧になりたい方は、確認の上、8月に寳山寺に行ってみてくださいね。

能はなぜゆっくりなのか

眠気を誘うように演じられる能。要因の一つに舞や謡のテンポがあるかと思います。 

昔の能はもっと速かった

昔はもっと速く演じられていたってご存知ですか?こちらに過去の能のテンポに関して記載がありました。

こちらの本に寄ると、能の歴史は大きく四分されます。

形成期  
大世期 観阿弥世阿弥の時代
転開期 秀吉など武将に愛された
式楽以降 江戸時代以降の、幕府の後援に依る

その転開期に於いて、大きく2つの変化があったようです。

能装束の変化

1つ目の変化は、普通の着物で演じられていた能が、秀吉の影響で今のような重要な能装束に変わり、演技の質も向上しました。

テンポの変化

2つ目の変化は、江戸時代初期、おそらく5代綱吉から8代吉宗までの時代だと言われていますが、能のテンポが突然ゆっくりになったそうです。それまでは、今の能よりも2倍〜3倍くらい速いテンポで演じられていました。

 

能はなぜゆっくりになったのか

こちらのサイトで早稲田大学演劇博物館顧問・早稲田大学名誉教授の竹本幹夫先生が解説していました。

玄人の能はどんどん、力をためこむ、力を内向させる演技へと発展していきました。名人は重たい能を演じることができたのです。相撲に近いですかね。でも、素人は力がないので速いテンポでしかできません。

名人は、力を込めた重厚な演技を好んでいきました。ほかの役者との間合いもどんどん遅くなっていく。

(中略)

おそらく、江戸時代に名人たちが重たい演技をし始め、まわりの能楽師もマネしてどんどんノロくなっていったんでしょう。

 

薪御能講座に参加して

突然話は変わりますが、先日薪御能を観に奈良まで行ってきました。

春日大社若宮での能演の後、次の興福寺での薪能までだいぶ時間があるので、奈良市観光協会主催の薪御能講座に参加しました。

金春流シテ方金春穂高(ほだか)さんが息子さんの飛翔(ひかる)さんを連れて壇上で講演されました。薪能で演じられる「鉄輪(かなわ)」の舞の解説をされたのですが、それが大変興味深かったです。

穂高さんの謡に合わせて飛翔さんが舞を舞うのですが、謡のテンポに合わせて舞のスピードを変化させていました。

謡が止むと舞が一時停止し、速く謡われると舞も倍速になります。まるで穂高さんが持つリコモンによって飛翔さんの舞が操作されているようで面白かったです。

また、倍速の舞がとても力強く、格好良く印象的でした。

今の能よりも2倍~3倍速かった能ってこんな感じだったのでしょうか?昔の速い能を復活させたら、倍速傾向のある今の世代に刺さりそうですね。

【奈良 薪御能②】興福寺で薪能を鑑賞

こちらの投稿の続きになります。

興福寺南大門跡で17時半に薪能が開催されました。この儀式は正式には「南大門の儀」と呼ばれています。

開場が16時ということでその30分前に会場に向かうと、入り口前にすでに列ができていました。午後でも日差しが強く屋根もなかったので、列で並ぶのはキツかったです。日傘などの対策をしっかりされることをオススメします。

今回の演目は

  1. 舞台あらため
  2. 金春流「東北(とうぼく)」
  3. 火入れ
  4. 大蔵流狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」
  5. 宝生流「鉄輪(かなわ)」
  6. 祝言

「舞台あらため」「火入れ」は 今回初めて観た独特な儀式でした。

舞台あたらめとは

演能の前に、興福寺衆徒(しゅと)という弁慶のような格好をした僧侶が登場し「舞台あたらめ」をします。

現在、敷き舞台の上で薪能が執り行われてますが、昔は野外の芝生の上だったそうです。当時は芝の湿り具合で能のあるなしを定める規定があり、衆徒が3枚重ねた紙を芝の上に敷き、上から踏んで確認したようです。それを今にも伝えるため儀式として行われています。

その後、衆徒により外僉羲(げのせんぎ)というお寺の外部の人たちに向けた文章が読み上げられます。

 

時間と共に涼しくなり日も翳ってきて、「東北(とうぼく)」が終わる頃には、空は夕陽色に染まり始めていました。

舞台上で、ついに火入れが始まりました。衆徒によって薪に火がつけられます。良い雰囲気になってきました。

 

狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」で、観客の中に笑いが起き心も解れたところで、最後に宝生流による「鉄輪(かなわ)」が演じられました。

自分を捨てた夫を恨み貴船神社で丑の刻参りをしていた女が脚に火を灯した鉄輪を頭の上に載せた禍々しい鬼の姿になり安倍晴明と戦うという内容。

装束の鉄輪に当然火はついていないのですが、実際の薪の炎が内容と連動するようで迫力がありました。

また薪の炎の光で見る能舞台は何か特別な雰囲気がありました。昔の人々のように薪能を鑑賞をしている、という過去との繋がりに加え、野外で執り行われることによる自然との繋がりも感じ、時空を超えた不思議な感覚に包まれました。なんか暑くて辛かったこともあったけど、来れて良かったなと思いました。

 

今回初めての薪能を体験し天候の影響という洗礼を味わいました。昔も天候に左右されるのは変わりなかったようです。しかも当時は7日間にわたり開催されていたそうで、能の演目だけでも49番舞われたそうです。かなり過酷な儀式だったみたいですね。雨や嵐に見舞われたこともあったと思うと「日差しが強くて暑かった」なんて言ってられないですね・・・笑